中学〜大学生、まさに「青春」と呼ばれていた時期に全てを捧げていたと言っても過言ではないバンド「Dolly」が復活することになりました。
最初に存在を知ったのはテレビだったかな、時は第二次ヴィジュアル系ブーム。
テレビでも深夜とはいえガンガンヴィジュアル系が流れ、アニメなどの主題歌にも抜擢されていました。
そんな中、大バズりはしなかったもののたくさんのファンを抱えていたバンド、という印象でした。
メジャーデビューもし、メンバーが1人脱退したにも関わらず精力的に活動をしていたバンドでしたが、2012年、突然の活動休止が発表されました。
とんでもない盲目ぶりを発揮していた当時はそんな予兆を全く感じることなく、これから先、爆発的な人気にはならなくてもなんとなくコアなファンを獲得しながら永遠に続いていくものだと思っていました。
本当に「全て」を捧げていたと言っても過言ではなく、学校もDollyの予定に合わせてサボってたし、バイトもDollyのライブに行くためにした。
ラストツアーは初めて全通しました。
夜行バス、新幹線、飛行機の乗り方を覚えたのも、お酒を覚えたのも、全部Dollyからでした。
そして当時家庭環境があまりよろしくなく、学校でも浮いていたわたしが唯一いられる居場所でもありました。
それを深く感じたのが愛媛でのインストアイベントの時。
軽い営業トークのひとつだと思うし深い意味はないんだろうなと思っていたけれど、今までインストで会話したことがない、無言かめちゃくちゃちっちゃい声で「ありがとう」としか言われたことがなかったボーカル蜜さんの一言でした。
「いつもきてくれてありがとう。いつも元気だからこっちも元気もらえる」
前の方で見ることなんてほとんどなく、地味で芋臭いわたしの存在なんて知らないんだろうなってずっと思ってました。
多分死ぬ気で全力で楽しんでいたというか、まじで楽しかったのでそれが全身に出てたんだと思うけど、それをステージ側の人が見て知ってくれていた。
それだけでめちゃくちゃ嬉しくて、幸せで、でも恥ずかしくて、通うの辞めようかと思った。(全部行ったけど)
初めて好きな人がくれた自分を肯定してくれた言葉でした。
Dollyがいなくなってからジャニーズにはまり、当時の担当は人気があまりなかった+掛け持ちが多くて単推しのわたしはわりと構ってもらえたり、マイナーなバンドに行くようになってちょこちょこ認知してもらえたり、男性ファンが大半を占める地下アイドルを好きになって名前まではっきり覚えてもらったり…と自分の存在を好きな人に知ってもらえる機会はそれからもたくさんありました。
地下アイドルに関しては現在進行形。
だけど、そのたびに蜜さんからもらった言葉が浮かんでくる。
何百人の中の一人でしかなかったわたしを初めて見つけてくれた経験は今でも大切で、忘れられないものです。
よくオタクが「見つけてくれてありがとう」みたいなこと言ってるの見ると、わかる…ってなる。
もう10年経つのにね。
そしてそんなわたしの心の拠り所であった居場所、Dollyが帰ってきます。
時間とともに悲しみは解決されたけど、そこに憎しみが乗っかってきてしまいました。
だからしばらく怒ってたし、復活しても絶対行かないと思ってた。
現にcounting a sheepのライブやってたのは気づかなかったくらいだし。
ジャニーズJr.に引くほどはまり、8号車としてはバンギャと両立できたけど難しくなってしまい、ヴィジュアル系をシャットダウンした今、突然の復活にめちゃくちゃ困惑しています。
でもcounting a sheepに気づかなかったことにもめちゃくちゃ後悔している。
たまたまコロナ陽性者の濃厚接触者になって暇だったから気づいただけで、仕事と他の推しのことで頭がいっぱいだったら気づかないままでいたかもしれない。
気づいたら怒りも全部時間が解決してくれました。
それと同時に、当時の記憶がいろいろ蘇ってきました。
初めて買ったCD。
ヴィジュアル系専門ショップにしかなくて、必死で調べて探して買い集めた。
初めて行ったライブ。
あまりに綺麗で夢みたいで、その日からしばらく食事が喉を通らなかった。
初めて行ったインストアイベント。
メイクの濃いにこりともしない超絶塩対応なメンバーにビビり散らかしながらも何度か行ってた。
初めて入ったファンクラブ。
会員証もかわいいし、会報も読みづらいけどみったまが紹介してた映画は全部レンタルして見た。
Dollyの世界がもっと知りたかったから。
初めてのファンクラブイベント。
レストランみたいなとこでやった記憶…ファンクラブイベントってこんなもんなの?と思ったけど、後にふつうのライブに変更された気がする。
初めての遠征。
当時は大阪と愛媛と仙台だったかな行ったの。
大阪、熱量がすごかった。
愛媛、メンバーのうち4人が育った場所で、穏やかで素敵な場所だった。
食べ物も美味しいし。
今でも老後は愛媛で過ごしたいと思ってる。
仙台、大学終わりに新幹線に飛び乗って行ったけど、すごく楽しくて。
震災のあった後でもあったからより熱さを感じた。
初めての関東ツアー。
行ったことない県にも行ったし、ネカフェに泊まったのも初めてだった。
お金ないから全部鈍行だったけど、何時間も電車に揺られながらDollyの曲を聴いていてめちゃくちゃ楽しかった。
初めての全通。
たまたま大学履修登録ミスして半年暇になり、大学から家に帰りながら落ち込んでたけど「あれ?全通できるんじゃない?」ということに気づいて、空いてる日は朝から夜まで日雇いのバイトをずっとしてた。
福岡に初めて行って、ついでにインストにもちゃっかり参加して。
名古屋もこの時初めて行ったな。
ライブの前日にインストが3つあって、せっかくなら行こう!と思って2枚は参加券確保できたけど1枚は発券終了してて。
そしたら「行けなくなったからあげる」ってくれた方がいて、3つとも行けて。
グルショがあったから間に入るのが嫌すぎて端っこに行って「魂抜かれないから大丈夫だよ」って聖さんに言われた。
それから長らく「写真の人」という認知がされていたようで、活休後他のライブの見学にいた時に「写真の人だ!」って言われたこともあった。
今はだいぶグルショにも慣れたな…でも今のわたしでもDollyとのグルショは怖いと思う。
愛媛もライブの次の日で、そこで初めて自分をライブ中見つけてくれていたことを知って嬉しかった。
最後のファンクラブイベントでは「ごめんさい…グス」という誤字があって今でもたまに使う言葉だったりする。
あと直射日光に数分当たっただけでダメになってたみったまが貧弱で面白かった。
やたら壊れるBPNコラボネックレスも全部買った。
募金イベントにも言ってはち様に鬼ときめいた。
CDショップの挨拶回りについていく謎イベントも本当に謎すぎてウケたけど楽しかった。
つぐきさんがフレンドリーで助かりました。
メジャーデビュー発表のライブは「メジャーデビューします」を若干噛んでたの今でも昨日のことのように思い出せる。
その時の「どんなハッピーエンドがあってもそれを望まない」って言ってたのもはっきり覚えてる。
だからハッピーエンドどころじゃなくてバッドエンドなんじゃないかって、活休してしばらくしてなんもなかったことに怒ってたんだよ。
それぞれの活動もろくになくなってしまって。
何してるかわかるのがつぐきさんくらいになっちゃって。
活休じゃないじゃん解散じゃん、って、そう思ったら怒りしかなかった。
でも「エンド」じゃなかったね。
ちゃんとまた始まるんだね。
今でも信じられなくて何回もツイッター覗いちゃう。
最終公演の時「奇跡が起きたら」を何度も繰り返し言ってたけど、奇跡なんて言うくらいにDollyの復活はありえないことなんだと思った。
奇跡、起こったね。
信じなくてごめん。
でもきっと次にくるのはハッピーだろうとバッドだろうと終わりだと思う。
その覚悟はちゃんとできてるし、Dollyなしじゃ生きられなかったわたしにも、いろんなものを得てきた。
もうDollyがいなくても大丈夫です。
だから終わるなら綺麗に終わって、これから先も一緒に連れていける思い出にしたい。
最高で最悪のハッピーエンドを迎えるために、2012年の12月21日にずっと置いたままにしているわたしの青春を、情熱を、心を、取り返しに行かなくちゃ。